明治の時代、今の札幌市清田区の清田から北野、大谷地にかけての一帯を広大な水田地帯に変えた灌漑用水路「吉田用水」。厚別川(あしりべつ川)から水を引き、地域を潤した夢の一大事業であったと思われますが、今はその跡はほとんどありません。

吉田用水跡。排水溝が延びている=札幌市北野3条3丁目

 ただ、北野の一部に全長500メートルに渡る帯状のグリーンベルトとして名残が残っています。案内板もなく、ほとんどの人は、かつてここが吉田用水だったことを知らないのではないでしょうか。忘れ去られたような寂しい扱いです。

 せめて案内板くらい設置して、先人の努力や頑張りをしのびたいものです。

吉田用水の手入れ作業。毎年、春先にたまった泥や雑草などを取り除いた=「清田地区百年史」より

 吉田用水は明治25年(1892年)、北野、大谷地、月寒にかけて広大な農場を所有していた吉田善太郎ら地元の農家有志が協力し開削した灌漑用水路です。

 旧道(旧国道36号線)の厚別橋(あしりべつ橋)下流300メートルの取水口(清田1条1丁目)を起点に北野、大谷地一帯に水を送りました。吉田用水は全長5キロメートル、幅4メートル、深さ2メートルほどの素掘りの溝だったといいます。

 スコップとクワによる手作業で、4カ月で開削したそうです。

「子ども版清田まちづくりビジョン2020」より。緑色の線が用水路。水色の線は右が厚別川、左が月寒川

 これにより、一帯は美田が広がり(250~260ヘクタール)、水田農家が増えました。北野地区は、この吉田用水により住民が増え、部落が形成されるようになったといいます。北野には一時、水稲試験場も設けられ、北海道の稲作りの試験田となり、大きな役割を果たしました。

 清田という地名や区名も、かつて美田が広がっていたことから命名されました。

 こうした発展のきっかけになったのが、吉田用水でした。

 長年、地域の水田を潤した吉田用水でしたが、昭和40年代になると、北野も大谷地も宅地化が進み、水田が消滅。昭和45年(1970年)には吉田用水は役目を終え、管理していた用水組合も昭和48年(1978年)に解散しました。

吉田用水記念碑

 この吉田用水の偉業を伝える記念碑が、北海道コカ・コーラボトリング本社工場裏手(清田1条1丁目)付近の道路わきに建っています。かつての取水口近くと思われる場所です。この吉田用水記念碑は大正8年(1919年)に建立されたそうです。

 吉田用水の経路は、多くの文書や書物では、「清田・北野を経て北進し、国道12号線を越え、函館本線を横断して左折し、月寒川に至った」と記述されています。

 しかし、地元の郷土史研究家、了寛紀明氏(清田区在住)は当時の文献資料等を精査した結果、「最初の吉田用水は、函館本線手前で右折し再び厚別川に至った」との見方です。

 厚別川からの灌漑用水路は、吉田用水の開削後も、「第2吉田用水」(今の高木橋下流に取水口を付けた)はじめさまざま造られたようで、「その中で月寒川にいたる経路の用水路も後にできた」と了寛氏は推測しています。

 吉田用水の経路については、吉田善太郎氏の家屋火災で資料が焼失しており、本当のところは判然としません。

 最初の吉田用水の経路について、了寛氏は次のように推測します。

 旧道の厚別橋下流300メートルの取水口(清田1条1丁目)→北野中学校横→北野通を越える→北野第一公園横(北野3条3丁目)→清田通沿いに北進→東北通を越える→南郷通を越える→大谷地小学校東側付近→国道12号線を越える→大谷地緑地(白石区本通17丁目北13)→札幌新道を越える→函館本線手前まで北進→右折して厚別川へ至る。

吉田用水跡(緑色の部分)=了寛紀明氏作成

 このうち、吉田用水跡が残っているのは、北野3条3丁目の帯状のグリーンベルトです。市販の地図帳には「野原グリーンベルト」と記載されています。全長は500メートルほどです。

 北野中学校向かいの北野通から吉田用水跡に入っていけます。案内板が何もないので、ここがあの吉田用水跡だとは一般には分からないと思います。階段を降りると、幅8メートルほどの草地が続いているのが見えます。

北野中学校向かいの吉田用水跡入口

 木々も植栽されていますが、散策路はありません。夏草が生い繁り、草ぼうぼうです。

 左は石垣、右は金網で区切られ住宅街になっています。左の石垣の上は、旧北野博善斎場の建物です。

左は北野第一公園、右が吉田用水跡

 草地の中に、蓋のついたU字溝(排水溝)がまっすぐ延びています。水は流れていないようですが、この500メートルの吉田用水跡は、今でも札幌市の河川管理敷地です。

 やがて、北野第一公園に出ます。この辺から草地は幅15~20メートルくらいに広がります。木々もない草地が続きます。そして、駐車スペースのような広場に出て、吉田用水跡の行き止まりです。ここにも案内板はありません。

吉田用水跡はここまで

 吉田用水が通っていたという大谷地緑地(白石区本通17丁目北13)にも行ってみました。ここは長さ400メートルほどの緑地で、松並木の中に遊歩道が整備されています。ここも緑地わきに排水溝が延びています。

大谷地緑地

 ひょっとしたらこの大谷地緑地も用水跡かもしれません。でも、これは調べ切れませんでした。はっきりしているのは、北野のグリーンベルトは間違いなく吉田用水跡であるということです。

 これは、まぎれもなく清田区の歴史遺産です。もっと大事にしたいですね。

 清田区北野と豊平区月寒東の境を吉田川という川が流れていますが、これは自然の川で、吉田用水とは無関係です。ただし、吉田川も吉田善太郎の農場内を流れていたことから、吉田川と命名されたようです。

「ひろまある清田」より転載