北野小学校の4年生児童約60人が6月17日(月)、明治時代に開削された農業用水路跡「吉田用水跡」(札幌市清田区北野3条3丁目)を現地探検しました。あしりべつ郷土館のスタッフ(運営企画委員)が案内と説明をしました。
北野小では2022年度から毎年、4年生児童が地域学習の一環で、地域に残る歴史遺産の吉田用水路跡を現地探訪する授業を行っています。
この日は、学校から徒歩で厚別川(あしりべつ川)左岸道路脇に建つ「吉田用水記念碑」前(コカ・コーラ裏手)まで来ました。郷土史家で、あしりべつ郷土館運営企画委員の了寛紀明さん(元小学校長)から、吉田用水と記念碑の説明を受けました。
吉田用水は明治25年(1892年)頃、地元の農家の人たちが鍬で開削した農業用水路で、今の記念碑が建つ付近の厚別川から取水し、大谷地方面にかけて長さ5㎞に及ぶ用水路でした。
これにより、北野や大谷地などに水田が広がっていきました。「吉田用水」という名称は、水路造成の中心人物の一人が「吉田善太郎」という人だったからです。
ところが、昭和40年代になって札幌の発展とともに清田エリアは宅地化が進み、水田がなくなりました。吉田用水路も役目を終え、埋め立てられましたが、偶然にも北野3条3丁目地区の用水路跡(長さ500m)は帯状の原っぱとして残り、今日に至っています。
北野小児童たちは、記念碑を後にして厚別川の左岸土手を北上し、いよいよ吉田用水跡に向かいました。500mほど歩いて、北野中学校前の吉田用水跡起点に到着。
夏草が生い茂る用水路跡の中で、了寛さんや田山修三さん(あしりべつ郷土館運営企画委員、元小学校長)から、吉田用水が出来た当時の話を聞きました。
吉田用水跡は現在、札幌市有地になっています。夏草が生い茂っているため、用水路跡の探索は途中の北野第一公園で終了としました。
児童たちからは「吉田用水は何人くらいで造ったのですか」など、数多くの質問が出て、了寛さんらが丁寧に答えていました。